2021-05-06 第204回国会 参議院 法務委員会 第11号
食事もろくになく、抜きになるのも日常的にあり、学校や、いとこの家に行ったときの夕飯が楽しみでした。今でも覚えているのが、食べるものがないときに母にかびたパンを出されたときです。そのカビだらけのパンを言われたとおりカビの部分をちぎって食べるんですが、酸っぱくてとても食べれません。飲み込もうとしても喉を通らない。要らないと言えばたたかれて。
食事もろくになく、抜きになるのも日常的にあり、学校や、いとこの家に行ったときの夕飯が楽しみでした。今でも覚えているのが、食べるものがないときに母にかびたパンを出されたときです。そのカビだらけのパンを言われたとおりカビの部分をちぎって食べるんですが、酸っぱくてとても食べれません。飲み込もうとしても喉を通らない。要らないと言えばたたかれて。
大変矛盾しているし、そういう言動を見ていたら、国民が、じゃ、ランチをやめよう、夕飯を一緒に食べるのをやめようというふうになるのかということなんですね。真剣度が、オリンピックはいいけれども、聖火リレーはいいけれども、だけれども集まっちゃいけない。ちょっとよく分からないです。そこのところが伝わらないから、行動変容がまだまだできないんじゃないんでしょうか。
おじいちゃん、おばあちゃんの介護ですとか、弟や妹のケアですとか、また忙しいお母さんに代わって夕飯を作るというような、そういうようなことをするために部活をやめたり進学をやめたりする、そういう若人がいることが、ようやく、国の初めて実態調査をして、ヤングケアラーと言われる方々がいるというのがようやく認定された状態であります。
で、魚を見て絵描いたりしていたんですけど、だんだん、家で母が、そんなに魚が好きだったら、夕飯も全部任せるから、魚さばいて自分で作りなさいということで、あっ、本当にありがとうということで、サバ一本買ってきたり、イワシもいろんな料理をしてみたり、だんだんだんだん、我が家では切り身しか魚って買ってこないような家庭だったんですけど、自分が魚好きになってから、母親の理解もあって、魚屋さんに行くと丸ごとくださいと
夕飯の時間でしたけれども、給食も皆で食べ、そこで食事のマナーですとかごみの分別ですとか、ふだん日本で生活しているだけではなかなか教えてもらえない、だけど日本人であればみんな知っているようなそういう常識も教えてもらえる場として、大変夜間中学というのは大事だなということを認識をいたしました。
今言われたような国々というのは、そうですね、ほかにも、私、まさにハイパーインフレーションの真っただ中のブラジルに、五十年ぐらい前に、あのころは伸び率が年率一八〇〇%だったかな、デルフィン・ネット率いるブラジルに一年住んでいましたので、そのときの朝のパンの値段と夕飯のパンの値段が違うという事態のところに住んでいましたので、そういうものだというのはわかっておるつもりなんですけれども、少なくとも、そういったような
それから、夕飯で食べた残りを翌日出すと、なぜ捨てないんだというようなことがあったりします。それから、みんなと一緒に御飯を食べると、おかずをどうやって食べたらいいんだか分からない、団らんというものをなかなか知らない、そういう子供もいました。 いわゆる集団生活にはルールがありますけれども、そのために自分で選んでいくという能力が育っていない、そういうふうな気がします。
言うならば、放課後保育、児童保育で遊んだ子が、「夕焼け小焼け」が流れたらそこの学校給食ルームに行けば、その仲間たちと一緒に学校夕飯が食べられる。 今、子供食堂が大変注目されています。でも、多くの子供食堂は月に数回なんですね。毎晩やるわけではない。NPOの方々も大変です。 そして、加藤さんがまとめておられる子供の貧困対策大綱、よく読ませていただきました。
夕飯を食べていないというのを調査していないと言いましたよね。実はこの調査は学習調査でやっておられるんですけれども、夕飯もとっていない子も調べるように、大臣、指示してくれませんか。ぜひ調べるべきです。
しかも、これは、例えば夕飯の献立がカレーからカツカレーに変わって、カレーという基本的論理は変わっていない、そういう話とは違うわけですね。国家の軍事権という国家権力最大の暴力についての話、しかも、政権がかわっても維持し続けられてきた規範、これを変わっていないと隠蔽するのは、欺瞞以外の何物でもないんじゃないでしょうか。 では、なぜ昭和四十七年見解が我が国への武力攻撃を前提にしていたか。
そして同時に、ピークアウト、もう十二時から二時までの間はお夕飯の総菜を早めに買いに行ってくださいと、それ携帯で連絡が来て、そしてあるお店から、そのときにバーゲンをやっておりますと、七時からの総菜安いのを今ならば百円引きです。それでみんな涼みながら買物をするということで、家庭の電力を使わないということもあるわけです。それをきちんと携帯で証明できたらポイントがもらえる。
実は私、二年間浪人している間、大体一年半ぐらい、女房が仕事を始めたということもあって、家計が大変で仕事を始めたんですけれども、家の夕飯は私がほぼ毎日つくっておりました。ところが、十二月に当選をしたら、やはり忙しくなってつくれなくなってしまったんですね。今は、一番上の娘が高三なので、女房じゃなくて高三の娘が弟、妹の分をつくっているんです。
医療費が大変で、夕飯のおかずをもやしにかえてやりくりしているという御家庭もあります。 こうした声は既に少子化担当大臣にも届いていると思いますが、きょうの資料、ぜひ目を通していただき、また何かの機会に、ぜひこうした声を聞いていただきたいというふうに思います。
私自身は、地方の家族の姿とは、三世代同居、夕飯どきに孫が小学校や幼稚園、保育園で楽しい出来事を親やおじいちゃん、おばあちゃんに話をしている姿を想像するわけであります。しかしながら、現実は、大きな農家のうちに、家はあっても家庭はない、時間はあっても余裕はない、楽しみがあっても喜びはない、今を生きていても夢がない、そのような地方の姿を思い浮かべるわけであります。
例えばドイツですと、温かいものは夕飯でも余り出てきません、相当ぜいたくなんですね。食事よりもお皿にお金をかける、マイセンのお皿であったりとか。
私だったら、夜、お父さん、お母さんとお子さんがみんなで夕飯を囲んで、一家団らんをして、子供が小学校であった楽しかったこと、おもしろかったこと、苦しかったこと、つらかったことを、お父さん、お母さんに夕飯どきに、一家団らんのときにお話をして、みんなで囲んで楽しく夕飯ができる、そういうふうな家庭をつくっていきたい、将来、子供たちに残したい、そのように考えております。
ただ、例えば、添加物の化学物質名が書かれていた、私の今晩の夕飯に、それを見たときに判断できるでしょうか。私たち消費者の方に受容できる素養といいましょうか、それがやはり必要ではないかというふうに思っております。
何も現物支給といいましても、はい、きょうの夕飯のトマトですとかお肉ですとか、そういうものを配るわけじゃないんですよね。やはり金券扱いになるわけですから、それを生活費に使うということが重要でございます。無理無理ちょっと聞くと、あの人、朝からパチンコなんだよねとか、朝から酒臭いとかという話もよく聞きますので、どうぞ、ぜひこのことは真剣に議論をしていただきたいと思います。
そして、二十六日の夕飯の会合はその引継ぎ会合であったので、是非本人においてお出ましくださいという意見具申は大臣としてはされましたか。
○照屋委員 県知事は夕飯を食べただけだと言っておりますが、やはりそうはいかぬと思いますよね。夕飯なんか、吉野家の牛どんを食べればいいので。 それで、今おっしゃるように、知事との会談で、十二日からワシントンで行われた日米実務者協議にいわゆる政府原案としてアメリカに提起した内容は、口頭か書面かは別として、説明されたんでしょう。